気まぐれな管理人による雑文サイト。Web小説「Rebirth」連載中 (笑)

人が死ぬ瞬間に抱く感情は感謝だろうか、それとも恨みつらみだろうか、はたまた哀しみや絶望なのか

2018年5月18日  2018年5月18日 
#妙に哲学的なタイトルだけれども、他意はありません (笑)

もちろん、わたしは死んだ経験がないから判らない。

でも脳科学者の中には、時間の概念が変わるため「死の瞬間に脳は永遠を経験する」などと提唱する人もいる。
なんだか素人目にも正しい理論上のように思えるし、少なくとも普通に生きているときを超越した状態になることは間違いない。
そうであれば「その瞬間に抱く感情」って、とても大切なのではないだろうかと思う。

そんな「死の瞬間」を歌ったのが、この「感謝」だ。
2002年に「新結成」された、ザ・フォーク・クルセダーズの楽曲です。


#歌・演奏:bell(ギター一本の一発録り。笑)
#作詞はきたやまおさむ、作曲は加藤和彦
#ちなみに新結成時のメンバーは、加藤和彦、きたやまおさむ、THE ALFEE・坂崎幸之助の三人

きたやまおさむによる歌詞が素晴らしいのだけれども、なかなか衝撃的なテーマだ。
死ぬ瞬間に抱く感情が「(恨みつらみではなく)感謝でありたい」と、考えさせられた人も少なくないだろう。
わたしも、そんな一人だった。

しかし。
音楽を愛し、音楽に生き、同じ音楽に絶望した加藤和彦は、自らの命を絶った。
2009年10月のことである。

遺書には、こう記されていた。
これまでに自分は数多くの音楽作品を残してきた。だが、今の世の中には本当に音楽が必要なのだろうか。『死にたい』というより『生きていたくない』。消えたい

――あぁ、なんと哀しいことなのだろう。
うつ病を患っていたらしいので、加藤和彦は「病に殺された」と形容することもできる。
あるいは、音楽を愛し過ぎたが故の殉死だったのか。

時は流れ、今は2018年。
昨今の「音楽の在り方」は大きく変化し、大きな分岐点を迎えつつある。
そんな時代でも音楽を愛し、音楽を必要とする人は大勢いる。わたしも、その一人だ。
この世から加藤和彦は消えてしまったが、加藤和彦の功績が消え去った訳ではない。
人々の心に加藤の作品が残り続ける限り、その灯が消えることもない。

今も、そしてこれからも、音楽は人生になくてはならないものである。
ノーミュージック、ノーライフ。

――わたしが死ぬ瞬間に抱く感情は、いったいなんだろう。

沢山ではないにしても、誰かの心に「何か」を残せるのだろうか。
ささやかでも「生きた証」を刻むことができれば、それ以上に嬉しいことはない。
それならば感謝の気持ちと共に長い橋を渡ることができる。
きっと、深い川もニコニコ顔で超えていくことができるんじゃないかな。

そんな風に考えると「自分が死ぬ瞬間の来ること」すら、なんだか待ち遠しいのだ。
一人ひとりに、心からの感謝を。


あとがき
思わせぶりなタイトルを付けたけど、僕はまだ死にましぇん (笑)


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bell(@bellstown21
いろんなこと書く人。比較的なんでも食べます (笑)
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