弱さと限界の向こう側の風景( #近藤晃央 ・ #KAIKAKI 感想)
近藤晃央さんの五周年記念ライブ「KAIKAKI」の感想など書いてみようかと。
# 今回のタイトルはTwitterとの連携(ハッシュタグ)を意識しています
一言で総括すると、アーティスト「近藤晃央」ではなく、人間「近藤晃央」を垣間見た貴重な三時間だった。
人間「近藤晃央」は音響や照明や演奏技術みたいな小手先のことだけでは語れない、熱いハートを満身の力で客席に打ち込んできたのだ。
このライブを通して「弱さと限界の向こう側の風景」を見せつけられ、わたしは「近藤晃央」という人間に、今まで以上に強く惹きつけられてしまった。
彼はMCで「近藤晃央のイメージは『弱い人間』だ」と話した。
同時に「俺の限界はもっと先なんだよ」とも語った。
何度もくり返し、くり返し、まるで自分自身に言い聞かせるかのように。
その言葉を聞いて、わたしは少しホッとした。
人間「近藤晃央」が弱いからこそ、人の心にそっと寄り添うような近藤作品が生まれたのだと実感できたからだ。
そしてアーティスト「近藤晃央」は五周年を迎えてもなお、力強く前に進もうとしていると確信した。
ライブの終盤で「涙腺」のアカペラバージョンを披露してくれた。
不器用だからと いつも手離してしまうものも挫折を経験したり、物事が思うようにならないとき、その人の真価が試される。
そう言い、逃げてた僕はむしろ器用で
離さないようにと強く握りしめすぎて
結局、壊してしまう 矛盾ばかりで
どうかしたのって聞かれたって 大丈夫とまた強がって
抱えきれない荷物 またひとりで持とうとしてる
目の前の現実から目を背けてしまう人。
虚勢を張って自分の弱さを認められない人。
失敗を周りの人の所為にしてしまう人。
「自分にはダメだ」と夢を諦めてしまう人。
一度そんな思考に囚われると、心が押しつぶされてしまって、人は前に進むことができなくなる。
やがて「自分の限界はここだ」と決めつけて、自分の立ち位置に満足してしまう。
そんな人が正真正銘の「弱い人」なのだ。
アカペラのまま歌いきるかと思いきや、バンドメンバーが演奏に加わった。
なるべく他人(ヒト)に負担をかけぬようにというけれどそう、そうなんだよ。
心はいつもそんな居場所を探して
分け合うものが たとえ悲しさだって
分け合うことで すべて救われる気がした
もしも手を差し伸べてくれる人がいるなら、すべてをひとりで抱え込む必要なんてない。
悲しいことは「悲しい」と表現して、誰かと悲しみを分け合えばいい。
そうやって人に助けられた経験を持つ人は、きっと自分の弱さを正しく認められる。
その人こそ本当の意味で優しく、なにより本当の意味で限界を超えられる「強い人」なのだ。
アーティスト「近藤晃央」は、自分自身の楽曲を発表し続けることで「自分の弱さと限界の向こう側にある景色の素晴らしさ」を証明している。
その生き様と軌跡は、まさに人間「近藤晃央」としての存在照明でもある。
人間「近藤晃央」が見せてくれる人の弱さと限界の向こう側にある風景を、次の五年後も十年後も見続けていたいと願ってやまない。
編集後記みたいなもの:
月並みな感想ですが、とても満足しました。幾つか細かいモヤモヤもあったけど、そんなの吹っ飛ぶくらいの充実感です。
これからも、五周年のその先にある、アーティスト「近藤晃央」を追いかけていこうと思います。
つか、毎度のことですが呼び捨てって失礼ですね (汗)
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