アーティストとの熱交換って、やっぱり大切だと思う
好きなアーティストが居たら全力で求めてください。— 近藤晃央 (@akihisakondo) 2018年5月8日
声を上げてください。
もっと、くれ、と。
次あれば。機会があれば。なんて言ってると、その機会、やって来ない。
いつ終わりが来るか分からない。
多少金はかかる。でも既に音楽から何か貰った気がするなら動いた方がいい。無くなる前に。
おもわず「これだよね、これこれ!」と全力で頷き、心が震えてしまった。
アーティストの作品に触れるって、要するに「アーティストの想いを受け取る」ことと等しい。
そのメッセージが心の琴線に触れて、今日を生き抜く力になったりすることだってある。
――しかし我々は、アーティストから受け取るだけでいいのだろうか?
世の中すべて「ギブ&テイク」で成り立っている。
アーティストだけ「ギブ&ギブ&ギブ&ギブ&……」なんて、絶対におかしい。
ただ受け取るだけ(たとえばYouTubeとかで無料視聴してオシマイ)なんて、窃盗行為にも等しいと思う。
そんな話がまかり通るなんて、この上なくナンセンスなことだ。
#アーティストだって生身の人間だということを忘れてはいけない
アーティストから何かを得たなら、ファンは対価を支払わねばならない。
――その「対価」ってなんだろう?
きちんと作品を買うこと。
事あるごとに「僕にはあなたが必要なんだ」と伝えること。
可能であればライブにも足を運び、アーティストに会いに行くこと。
今も昔も変わらない当たり前なことばかりだけど、どれも大切なことです。
声援がアーティストの力になり、意欲になり、良い作品に繋がる。
そして作品がファンの力になり、意欲になり、大きな声援になる。
アーティストとファンは対等ではないかもしれない。
でも、そんな熱交換が成り立つ関係って、とても素敵な関係じゃないか。
ちょっとだけ懐かしい話を。
少し前にカルビーのスナック菓子「カール」が生産中止になった。
爆買いしてヤフオクで売りさばく不埒な輩もいた。
あと出しジャンケンみたいに「実はカールが好きでした」なんて言う人もいた。
あたかも「カール熱」という、一過性の社会現象となったのは記憶に新しい出来事だ。
そんな光景を一歩引いて眺めていたのは、わたしだけではないだろう。
#白状しますと、わたしはそれほどカールが好きじゃなかったです
#ごめんなさい、ごめんなさい σ(^◇^;)
手に入らなくなってから悔やんだり、懐かしんだりすることほどアホらしいことはない。
失った後に嘆くのでは遅いのですよ。
無理する必要はないけれども、手が届くのであれば、可能な限り手を伸ばしましょう。
たいせつな人に「きっといつか」なんて、曖昧な約束をしてはいけないのだ。
あとがき
近藤晃央さんの新しい公式ウェブサイトが公開されていますね。
http://www.akihisakondo.net/
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